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2008年05月10日(土) ふりだしからの回帰
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幾度となく訪ねているクレモナ。
そんな街にも初めて訪れたときもあった。
企画を立ち上げた当初は、
何を取り上げるかも、
誰を取り上げるかも、
どこへ行くかも、
何も定まっていなかった。
一つの方向性を見いだそうと、
とにかく足を運んでみたのがこの弦楽器の街。
そして真っ先に向かってみたのが、
街の中心から少し外れにある日本人の工房。
帰ってこれた場所
雑誌の企画で声がかかった。
縁というものは奇妙なからくりのあるもので、
この日誌を読んで下さっていた方から撮影の依頼があり、
それが奇しくも、あのとき出会うことのできなかったマエストロ。
今回、再び訪ねることになったのは石井高さん。
雑然とした工房はマエストロといわれる人ならではの、
細かいこだわりの集積のようだった。
僕はとにかく撮影に専念していた。
インタビュアーではないので、
あまり出しゃばる事もするべきではない。
逆にそれが僕ならではのモノがとれるような気もしていた。
石井さんはよくしゃべる。
もういい年だから、
いろいろと話したいのだろうか?
それともイタリア生活が長いせいだろうか?
雑誌の編集者側の意図はあまり汲まずにいたが、
僕としてはやはり製作風景を収めたかった。
目であり、表情であり、息づかいだった。
いまの器
石井さんとお会いして、
あらためて企画当初の自分といまの自分を比較して考えてみた。
答えなどわからないけれども、
出会ったのはいまでよかったようにも感じた。
石井さんはこの世界では日本人として御大であり、
職人としては近づきがたいものである。
しかし決してそんな雰囲気など出さずに、
ごく自然な親しみやすい空気で優しく語りかけてくれる。
それは身内とでも話しているかのような。。
まだ何も決めていない自分が石井さんと出会っていたら、
どうだったろうか、と。
企画はいまと異なっていたか、同じだったかはわからない。
けれどもいま改めて出会えた事は貴重な経験である。
予見
自分の作品を見る目。
そこまで石井さんに踏み込めるだろうか?
そしてそれを手にする人。
耳にする人。
どこまでを見ているのだろうか?
いまの僕ならそこまで自分を試せる気がする。
外人としてマエストロとして生きてきた、
そして相手がイタリア人ではわからない、
そんな細かな感性も感じることができるかもしれない。
そんなちょっとした期待を胸に、
もう一度訪ねて話してみよう。
この日、撮影した映像の一部を公開しています。
マエストロ 石井高 - Cremona 26
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