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2003年08月10日(日) イタリアにふりまわされたクレモナ訪問
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「GLI ARTIGIANI」の予告編を創るため、クレモナとボローニャへ素材を撮りに向かった。
が、僕はそこでとんだ過ちをおかしてしまった。
前回クレモナ、ボローニャ訪問の時も日曜で、今回も日曜だった。
最初クレモナに行ったが、街は閑散としていた。
よく考えれば安息日なのだから当然である。
それを踏まえた上で今回は先にボローニャへ向かった。
ボローニャもたがうことなく、街は静かだった。
日射しの方向と被写体のことを考えると、午前中に来たのは正解だった。
逆光は避けられたからだ。
ただ電車の時刻表を見れば、ボローニャは4時間滞在、
クレモナは3時間滞在にならざるを得なくなってしまったのだ。
ホントは反対の方がよかった。
でもまだここまではよかった。
問題はこの後だった。
なぜ僕はそこまで計算しなかったんだろう。
クレモナ行きの電車を待っていた。
時間を過ぎても電車は来ない。
よくあることだけど、おかしいなと思い、待合所を出ると待っている客は誰もいない。
「まっ、まさか!!」
急いで時刻表のモニターを見にいくと、到着が隣のホームに変わっていた。
あわてて行くと間に合った。
あぶない、よかった、と思うのも束の間。
なかなか発車しない。
おうおう、フィデンツァで乗り換えだぞ、早く発車しろ。
結局20分遅れで発車した。
イタリアの電車はリタルド(遅れ)はよくあること。
でもそのあと急いで走って時間合わせをすることもある。
このときばかりはそうはいかなかった。
フィデンツァで降り、時刻表を見る。
次のクレモナ行きは1時間後の4時だ。
ということはクレモナ滞在は2時間になる。
やばいかなぁ。
今回のクレモナでの最低限のノルマは、ストラディヴァリの銅像を撮ること。
あとリュータイオ(ヴァイオリン製作者)の画を撮ること。
ストラディヴァリはまだしも、リュータイオを探し出して撮るまでは、相当厳しい時間だ。
時刻表を見ながら考えていると、僕の両脇のイタリア人が話しはじめた。
「次のクレモナ行きは4時だな」
「いや6時だよ」
何を言ってるんだ、この二人は?
僕はこの二人のイタリア語がわからなかったのだと思っていた。
くそ暑い中、バールで買ったアクアガッサータを飲み干し、駅の待合所で待っていた。
時間近くなってもアナウンスが流れず、イタリア語が聞き取れなかったんだと思い、
時刻表をもう一度確かめに行った。
「!!」
そう、この日は日曜、安息日だった。
さっきの二人の会話は僕の聞き間違いでなかったことが判明した。
6時のクレモナ行きに乗ったら、滞在時間はわずか3分になる。
いろいろ考えてクレモナ - ミラノ間の電車を探したが、最終はそれしかなかった。
この瞬間イタリアのクソヤローと思った。
この国に立ち向かうにはよほど用意周到でなければならないことを、改めて確かめさせられた。
そしてクレモナのような小都市へ行くには、早い時間に行くべきだと言うこともわかった。
なぜならパルマやボローニャレベルの街なら、ミラノ行きはもう少し遅くまであるのに、
クレモナは本数が少ないからだ。
この日は絶対に先にクレモナに行くべきだったのだ。
おかげでせっかくの休みを有効に使い切れず、損した気分になった。
逆に言えば今後の大いなる勉強になったということだ。
イタリアよ。
グラッツィエ?
すごい憤りを感じたものの、こんなことくらいでめげてしまう僕ではない。
それが地球を巡って来た証である。
プラスのパワーに変えて糧にしてしまうのだ。
クレモナのリュータイオは、ミラノに住んで店を開いているというI氏に、
僕のイメージに合う人を紹介してもらおうとしていた。
実はいまこの人、ミラノではなく東京に店を出すということで東京にいるらしい。
直接会うこともできず、メールでやり取りしていた。
まぁ当然なことなんだけど、かなり七面倒臭いことを要求
(イタリア語の履歴書を提出しろとか、私のできることはあなた次第です、とか) して来て、
僕もどう対応しようかと考えあぐねていた。
結局はこの人に頼らずに、地力で調べまくって、
直接リュータイオ本人のところにお願いに行くことにした。
もっとフランクなのがイタリアだと思っていた。
こういういかにも日本人的な人がイタリアにいたとは、なんか淋しぃ〜。
もうしばらくはクレモナに来れないんじゃないかと思っていた、クレモナ電車事件のあった2日後、
また休みをもらえたので今度こそはクレモナのためだけに行った。
僕は候補にあげていたリュータイオの住所をすべてリストアップして、すべてをまわっていった。
時期が悪かったのか?
どこも閉まっている。
昼も過ぎているのに街も閑散としている。
この国の8月はヴァカンスシーズンである。
「うぉ〜、やっぱりまた失敗??!」
ストラディヴァリの画はとりあえず撮ったものの、鐘楼にも登れず、途方にくれていた。
だめもとで石井高氏(日本人マエストロ)のところに行ってみようと思った。
チェントロ(街の中心)から少し離れているが、何かあればと思っていた。
アフリカにも南米にもなかったような日射しが僕を突き刺す。
そんなのに負けている場合ではなかった。
バールなどない通りを突き進み、石井氏の工房を見つけた。
呼び鈴を鳴らすが返事はない。
仕方がないので、偏光フィルターもかけずに窓越しにあらゆる工房の外から、
ヴァイオリンを撮って帰ろうと思った。
するとある工房で、ヴァイオリンの奥でチェロを磨いているリュータイオがいた。
じっと観ている僕に気付かないかなと思ったが、気付かれなかった。
その工房の少し先に僕が2番目の候補に挙げていたリュータイオの工房があるので、そっちに向かった。
すると軽快なクラシックが流れているではないか!!
こ、これはもしかして呼ばれている??
あたりを見回すと、入り口から少し離れたところに窓があり、
その向こうでは、マルコ・ノッリがヴァイオリンを手にしていた。
「Vieni,prego(おいでおいで)」
とても人なつこくて、人のよさがにじみ出ている兄貴である。
典型的なイタリア人ぽく、気さくに次から次から声をかけてくる。
正直、帰りの電車の中で、日本のメディアに出ているリュータイオを取り上げるのはどうか?
と考えていたが、僕はそれ以上の彼の人柄を自分の作品におさめたくなった。
マルコにはイタリア人として始めて、僕の企画の説明をした。
ベッラと言っていた。
イタリア語でコミュニケーションとれるとやっぱり嬉しいけど、
イタリア人にベッラと言ってもらえると、もっと嬉しい。
ミョ〜な自信になりそう!
最終的にはつじつまを合わせることができた、クレモナ事件。
負けっぱなしで終われない生き方。
絶対に日本人の魂をイタリアに世界に見せつけてやるぜ。
帰り道、一人で「やったぜ、こんちくしょ〜、ざまぁみろ」と言っていた。
池田剛のロードムービーはまだ始まったばかりである。
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