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FILM MAKER TAKESHI IKEDA
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2007年06月08日(金) 色彩の科学


イタリアにいてストで足止めを食らうなんて日常的なこと。
そんな環境で生き抜くには、事前の情報を得るなど、
それなりの術を身に付けているべき。

そんなストの日にも気付くこともなく、
パルマでの滞在を余儀なくされた春の終わり。
各駅停車の乗り継ぎで今度こそはラヴェンナまで行こうとしていた。
前回パルマで買ってしまった残りの区間の切符。

イタリアの鉄道の切符は購入から2か月間は有効。
乗車前に自主的に機械で打刻して、
乗車中に検察がそのスタンプを確認しに来るシステム。
乗り継ぎの度にスタンプを押さなくてはならない。

先日のパルマでは、
スタンプを押したあとにストライキだということに気が付いた。
通常であれば無効の1枚の切符。
他の切符は2か月以内なので正規に有効。
ストは相手方の事情なので、
パルマにて当然のように交渉してみる。

交渉の余地あり?


職員に事情を説明するが、
何とも素っ気なく「使えない」の一点張り。
交渉の余地もない。
平然とストライキを行う彼らの都合をよそに、
なんという対応だろうか。
まるで僕が悪いかのように逆に責め立てられる。

何があっても面倒なので、新しいチケットを買った。
一瞬スタンプしただけのことなのに。
なんと言うシステムだ。

メガネをかけた窓口の無愛想なオバさんは、
スタンプの日付すら読めてない。
僕が適当な日付けを申し出ていれば有効だと言っていたかもしれない。
これなら何の意味もない。

検札も調べに来なかったり細かく見ていなかったりだから、
ひょっとするとマジメにやらなくても平気だったかもしれない。
実際、乗車中に検察されていたとき、
日付までは確認していなかったように見えた。


恐怖に包まれるとき


そんなこんなでイライラしながらホームでボローニャ行きを待っていると、
コワモテの黒人が視界に入ってきた。
かと思うと僕の横に来て荷物を降ろす。

「?」

ただ単に位置を移動したのか?
オドしにきたのか?
同じ外人の近くの方が落ち着くのか?
純粋に声をかけにきたのか?

よく見てみると黒人にもいくつかタイプがある。
赤い目をしたギラギラテカテカしたのから、
ドレッドのリズム感バッチリのやら、
インドや中東系の黒人やジャマイカンな黒人、
そしてサラッとした感じのまで。

彼は大柄で開襟シャツの上に白い麻のスーツを着ていた。
大金を持っているような、いかにも悪そうな出で立ち。
しかしどこから収入を得ているのか?

アフリカに近いこともあって、
イタリアでも黒人はよく見かけるが、
黒人にも滞在のための独自のルートがあるのだろうか?


アンバランス


「Do you speak English?」
言葉のわかるヤツを探し求めていたようだ。
でも聞いてきたことは至って普通。

「これはボローニャ行きか?」
出で立ちや見てくれ、肌の色など何も関係なく、
それさえ無視していれば何でもないありふれた会話だった。

どうやって内陸のパルマまで来たのか?
チケットにスタンプすることも知らず、
「急いでスタンプして来い」と指示する。
僕に差し出した吸い始めのタバコを捨ててスタンプに走る。

僕は先に電車に乗って彼を待ち、
スタンプしてきたのを確認して同じ車両の同じ区画の席に座る。

ひょろひょろの僕が指示して、
怖そうな大柄の黒人が従うというシチュエーションも面白い取り合わせだが、
お互い変わらずコミュニケーションを取っていることには違いない。
そんな滑稽なやり取りを介していたら、
イタリア鉄道への怒りもいつのまにか忘れていた。

ボローニャ中央駅


ボローニャで降りると中国人らしき女が切符を持って声をかけてきた。
「エミリアロマーニャ - ビチェンツァ」
いつもは相手にしない中国人も、
黒人の例があったので気前よく相手にしてみたが、
手前の区間の切符。

切符を買い直せと英語とイタリア語で言っても通じない。
そのうち聞いている女のテンションも下がっていき、
こっちも時間がなかったので置き去りにしてきた。


駅で歌う黒人のストリートミュージシャン。
あまり見たことのない光景に目を奪われる。
汗だくになりながら一生懸命奏でているわけではなく、
かといってものすごく楽しそうにしているわけでもない。

音楽自体はレゲエでもなく、少しアップテンポで、
黒人特有なメロディーというわけでもない。
どこをとってみてもつかみ所のないものなのに、
みていると笑ってしまうのが不思議だった。

黒人の奏でる音楽には心が明るくなるものがある。
人が笑うのに理由などいらない。

和みの輪


工房へ着くと食事中だった。
とはいえドルチェだったので、もう少しで終わり。
話しに花が咲いていた。

僕が行ったときにしては珍しく生徒がたくさんいた。
とりあえずみんなに紹介してはもらったものの、
来たばかりの僕が彼らの中に打ち解けて話していくような、
そんな輪ではなかった。

まだしばらくはモザイクには手をかけず、各々話しをしている。
行き場をなくした僕に軽く声をかけてくるルカ。
それぞれの紹介をしてくれた。
イタリア人2人、ドイツ人1人、アメリカ人2人、東洋人1人。
うち二人はすぐに帰っていったが、あとは残っていた。


ドイツ人の目


ドイツ人の男は4ヶ月いるらしく、ムンクの「叫び」のコピーを完成させ、
ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人間」のコピーを製作していた。
4ヶ月もいればイタリア語でのコミュニケーションもさることながら、
作品の製作は自らの手でしっかりと行っていた。

アメリカ人のオバちゃんも相手にしていて、
昼時の喧噪を考えると驚くほどの目の鋭さが、
作品に対する真摯さを感じた。

声もかけずらいほど集中していたので、
声がかけられなかった。
これだけしっかりとコピーのモザイク製作ができるようであれば、
じきにオリジナルも作るようになるだろう。

であるならば身につけた技術で彼はこの先、
どのように展開していこうというのだろう。
気になって彼にもインタビューしたくなっていた。


モンターニャ


アリアンナがオリジナルのモザイク製作に取りかかっていた。
どうやら僕は彼女の作品のセンスがお気に入りのようだ。
前回の海のモザイクは意味も聞かず見た目の美しさや、
石を使って作るところに新しさを感じた。

ルカに説明してもらった工房に展示してあるテーブル。
アリアンナ製作で表面に彩られたモザイクは、
ユーロ紙幣とコインのデザインのもので、
実物の5セントコインも埋められていた。

製作途中の見た目だけでは何なのかわからない作品。
ヤシの木かなんかが2本のびている島だとばかり見ていた。
アリアンナに問いかけてみる。

「山」

意味ある例えのアート


意外に思ってどういうことかたずねると、
「2つの道があり、ふもとから頂上にのびている。
緑の部分は下が濃く、上に行くにつれ明るくなっていく。
これは人生に例えたもの」だと。

「おお、なるほど」
よく宗教でも例え話としてよくある山の概念だが、
それを芸術にして表現するうまさ。
モザイクの文化が栄えていた頃のものではない、
現代の感覚の作品が面白い。

これはいま思いついて作っているのだという。
もちろん下書きなどなく、手早くすすめている。
こういうインスピレーションで作る即興のセンスが
僕にはとても心地よく響いてくる。


教室の隅からの光景


まだ始めて一週間という女の子とオバちゃん。
2つずつ作品を製作していた。
仕上げの処理をアリアンナとルカが実践していた。

先生が行程を口にしながら作業を進め、
女の子はその言葉一つ一つをメモしていく。
マイペースなアメリカ人のオバちゃんは一人、
英語で質問をいろいろとしてくる。

メモしたり質問したりするということは、対象への興味があるはず。
ただどれだけ真剣に自分のものとして体得しようとしているか?
その人の動きを見ていると何となくわかってくるような気がする。

そう考えるとドイツ人の発していた緊張感というのは、
いろんな工房で見てきたそれぞれのお弟子さんの中でも群を抜いていて、
かなり美しいものを奏でていた。

モザイク教室でもあるココは、カルチャースクールとも同じく、
いろんなキャラクターが集ってくるもの。
そんな彼らをしっかりと受け入れて、
モザイクの基礎を指導する2人のマエストロ。
7月2日にはAM17人PM17人の京都の学生が訪れるという。

見えない空気を読む


フットワークが軽く、一つ一つの作業も細かい。
生徒一人一人へのフォローなどを見ても、
あせらずさわがず落ち着いている。

人への賞賛はあっても、否定がない。
答えがすぐに出なくても、急かさず根気強く対する。
状況を見て、気を配れる細やかさ。

イタリアにいて先生という職業の人と触れる機会はほとんどないだけに、
簡単には投げ出さず、しっかりと受け止められる強さに感銘を受けた。
生徒はまだしも僕なんか相手にしてもほとんど何の特にもならないのに、
友として受け入れてくれている。

明るさと優しさがある工房。
彼らが出しているそんな空気に、
僕はいつも助けられている気がする。


自主性と自我


本当に運のいいことに僕の出会う職人たちは、
心地よい場を提供してくれる。
コネの強い社会の中、
仲良くなって打ち解ければ優しくしてもらえる。
それだけだろうか?

職人のような自主的なものと、
公務員のようなものとでは動機の原点から違う。
誠意を尽くすとか人間が気持ちよく生きることより、
自分がいかに楽に生きるか。

自分の楽のため、シコりを残さないためにはウソをつく。
面倒なことはしない。
人のミスをあてがう。
自分のミスは認めない。

歴史が築いてきた伝統ではすまされない。
誠実さの結晶を僕は見たいのだ。

普遍的で消えない


同じ仕事でも義務的にでも楽しくやるのか?
イヤイヤでも能動的にやるのか?

インスピレーションでやるのか、機械的にやるのか?
保身でやるのか、犠牲でやるのか?

日本人でもイタリア人でもアメリカ人でもドイツ人でも、
インド人でもクルド人でもペルー人でもアフリカ人でも、
どこの国の人でも変わらない。
人を見て何をどう想うのか。

人を傷つけ、心にアザを残すのがよくない。

イタリアは決して素晴らしい国ではなく、
イタリア人は決して素晴らしい国民ではない。
だからといって目の前にいるたった一人の人間を見て、
ほかのすべてを決められるものでもない。

それは日本人に対してもどの国に対しても言えること。
人種や風土、宗教などというちっぽけなものでくくられるものではない。
人間の奥深いところにある醜いものである。


帰りの列車では3本中、2本で検札が来なかった。
最後の一本では、一度検札されたというのに二度も検札されそうになった。


この日、撮影した映像の一部を公開しています。どうぞご覧下さい。

多国籍軍 - Ravenna 9

日かげのコラボ - Ravenna 10

バシッ! - Ravenna 11

好きこそ楽しめ - Ravenna 12

ヴィトルヴィアーノ - Ravenna 13

アドバイス - Ravenna 14

モンターニャ - Ravenna 15

ストレートな感情 - Ravenna 16




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