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2005年03月06日(日) 日曜は安息日

夜行の列車を乗り継いで早朝にシエナに到着した。
雪景色の車窓のあとの空気はとても冷たく,
凍り付くような寒さに空は機嫌を害していた。

この規模の街にしては珍しく、街の中心へはバスで行かなくてはならない距離にあった。
城壁に囲まれた街の停留所に着き、中心まで向かう。
朝露に濡れた街の景色に心打たれ,最近は撮っていなかったスチールの映像撮りに走った。
普段は映像で静止画を撮ることはあまりしないが,
この日は美しい被写体の多さに感動した。

時間をかけ数ショット撮りためていく。
やがて雲は流され,静かな街に木漏れ日が差してくる。
朝の日差しはとても強く,まだ夜明け前の静けさが残る街との対比が印象的で,
理想的な画を撮ることに成功した。

まだラッシュ (※) すらしていないが,きっと思い描いた通りの仕上がりになっているに違いない。
それはヴィットリオ・ストラーロ氏の画を彷彿させる,
カラバッジョの画を意識した映像である。

黒みの残る空間に光が差し込んでいる。
そこに人は存在していないので浮かび上がるものはないものの,
正に光で描いた画である。

晴れた朝の強い日差しのなかで撮影するのは、理想的な情景を得ることができる。

※ラッシュ = 撮影後編集前に確認のため映像を見ること。


目的物の見つけ方


シエナの職人に関する情報はまったく用意してこなかった。
それでも街中を探り、工房らしき建物はいくつか見つけた。
しかしどこも閉まっている。

インフォメーションまで足を運び,訪ねてみる。
テラコッタのことに関して聞くのだが,
工房があるのは中心から車で約20分のところのサンタロッコにあるという。
サンタロッコまでの路線バスはあると思うが <聞いて> みなさいという。
誰に聞くのか? を言わないのがイタリア人らしい。

しかし彼女のいいところは、更に続けて教えてくれたこと。
実際に行ってみてどこも閉まっていたものの、
街中にある陶器のお店を何軒か紹介してくれた。
工房も2件教えてくれたものの、どちらも教えてくれた位置には存在しなかった。
とりあえず中心の塔の開く時間になったので向かってみると,この日は開場しなかった。

時間があまりないものの、収穫を得たいがためにサンタロッコの工房に電話してみる。
午前中は13:00まで開いているという。
そして店の場所を聞いてみた。
このやりとりが滑稽で自分でも笑ってしまう。

きっと車での行き方をナビゲーションしようとしていたのだろう。
「車を持っているか?」と聞かれ,工房までは車でしか来れないという。
「バスはないのか?」聞いてみると,「ない」という。
「タクシーは?」と聞くと「遠いし時間かかるぞ」という。
「だいたいいくらぐらい?」
「私たちは使ったことないからわからないよ。
どっちにしてもサンタロッコの中心すぐのところだ」


誇りと自信


このオッサンに聞いても行き方に関しての答えは見つからないと察した僕は,
次回来るときのために定休がないことだけを確認して携帯をしまった。
バスでの行き方に関してはやはり <聞いて> みるしかないのだと悟った。
バスの停留所に戻り,サンタロッコ行きのバスがあるかどうか、
掲示板をくまなく見て回った。
しかしどこにもサンタロッコの文字は見当たらなかった。

いまここにいてどこまで調べつくせるか?
到着したバスドライバーに聞くか、バスのオフィスを探していた。
ふと気づくとエレベーターがあり、バスのチケット売り場,
そしてインフォメーションの表示があった。
僕はエレベーターのボタンを押していた。

窓口にはスペイン系のような濃い顔で態度の悪そうなおばさんがいた。
近くに住んでいる常連のような少し若い男が窓口にいた。
僕が後ろに並んでいると促されておばさんに尋ねる。
彼はただの暇つぶしでいるようだった。

「サンタロッコに行きたいんだけど」
隣にいた男が吹き出す。
ケンカでも売ってんのか?
サンタロッコがどうこう言っていた。
どんな街なのか知らないけれど,自分のやることに僕は誇りを持っている。
それに対して吹っかけられたような気がしたものの,僕は動じることはなかった。

バカにされればされるほど燃える男の僕は、サンタロッコで撮ることを完全に決めた。
「次のサンタロッコ行きは 12:35」
11:00 に一本あったのに日曜日で本数が少ないため,
11:00 すぎに探し当てることのできたインフォメーションでは、
今日は休日ダイヤだという、そんなアナウンスしかされなかった。

ジェノバ以外の撮影は平日に限る。
しみじみと実感した訪問だった。
オフィスを出る途中、撮影していた映像を確認すると、ここでのやりとりがまったく撮れていなかった。
最近カメラの調子が悪くタリーもつけていなかったので、撮れていないことに気づかなかった
いい素材がすべてなかったことにも失望してしまった。


個性の強さ


フィレンツェの駅に到着する。
僕がいつも訪れる街の駅とは異なる雰囲気が漂う。
何かに押しつぶされてしまいそうな、そんな威圧感が僕を包み込む。
構内の大きさ、人の多さ,喧騒。
日曜なのに、いや、だからこそのこの人ごみだ。

僕が頻繁に訪れるローカルな駅の特徴。
切符の券売機がない。
トイレがチップ制でない。
クレモナもパルマの駅も当てはまる。

クレモナもパルマも知名度が低いことはなく,
職人の街として有名で、個性のある街である。
ヴェネツィアはガラス作りで有名だし,
フィレンツェは職人の集う地域がある街として有名だ。

同じ職人でもバラエティに富んだものが集まると,色が薄まる。
単一の職人たちが集うと一つの個性体が出来上がる。
そこに街としての一つの強みが出てくるが,
混じりあってしまうと3本の矢もバラバラになってしまう。
どこに目をつけて、どれを取り出したらいいのか?

情報があふれ返った社会のなかで、一体どれを取捨選択していったらいいのか?
人々が迷っている現代社会の縮小図のような気がしてならない。
職人の生きるイタリアの社会のなかでは、フィレンツェも薄く見えるものの,
世界に目を移してみれば,まだまだ個性度の高いレベルにあることは間違いない。

クエスチョンマークの中からの逃走


そんなフィレンツェの職人街に足を運ぶことは、
僕の作品作りに意義をもたらすのだろうか?
疑問を抱えながらもアルノ川にかかるポンテベッキオを越えていく。

あふれんばかりの観光客は日本人ばかりではなく,
しばしの小旅行を楽しむイタリア人からヨーロッパ各国の人まで様々だった。
電話を手にしているマンニーナのオヤジを横目にピッティ宮殿に向かう。
職人の工房ではなく店舗のような建物がぽつぽつと見えてくる。
モザイク画の店もあった。

モザイク画?
フィレンツェにもモザイクの工房がある。
仮に僕がここフィレンツェでモザイク職人を取り上げていたとしたら?
それほど楽で簡単な映画製作はないだろうし,
そんな嘘をついてまで完成させなくてはならない作品ではない。
嘘という表現には語弊があるかもしれないが、
本当に美しいほどのこだわりを持った職人がいたとしても,
本場ラヴェンナに行って、
そこにいる職人のこだわりに触れていくことが大切なのである。

押しつぶされてはならない。

僕の興味を引く職人がこの街に存在するのだろうか?
はなはだ疑問である。
しかしこの作品を製作する上で一つの参考として街を巡りにきたのである。
Via Serragli やサントスピリト教会、
サンタマリアデルカルミネ教会の周辺をくまなく歩いた。
それでも日曜であることに変わりはない。
工房はもちろん、開いている店すら見当たらなかった。

この街でどのジャンルの職人に当たるかというこだわりはなかった。
とにかく微塵でも結果を出すことにこだわっていた。
開いている場所は誰もが訪れそうな観光名所・ピッティ宮殿の前にあった。
2件ほど開いているアーティスティックなものを陳列している店の前に,
日本語で解説してあるプリントが貼られてあった。


スカリオーラ


ファビオラ・ルンゲッティ。
スカリオーラと呼ばれる伝統技術で、一度は途絶えた技術を復元させた女性だ。
それだけの人なので,取り上げられ方は並ではないようで,
英語はもちろん,日本語専用の案内のチラシも置いてあった。
日本のデパートにも訪れたことがあるようで、そのときのビラもあった。

マルコを取り上げるときにも考えたことだが,
それだけの人を僕が取り上げることにどれだけ意味があるのだろうか?
僕がそのとき思ったことは、あくまでメインになってくる人ではない、ということと,
スカリオーラは地球上で唯一この職人が持ちあわせている技術であるということ。
消滅していたものを復活させようとした精神的な力強さを感じた。

その店には旦那さんらしき人がいて,
ファビオラさんは日曜なのでいないということだった。
ここでも日曜マジックがきいていた。
物静かなその男性は、僕が今朝イメージして撮影していたカラバッジョの画を模写していた。
なんとなくシンクロニシティを感じた。

スカリオーラという技術を僕は知らなかったけれども,
その作品に触れると、どこかで手にしたことのあるような気がした。
それだけ普及させることに尽力しているということなのか?

奥には暗い部屋があり、聞いてみると工房だという。
のぞかせてもらうと,手をかけたままの色のついていない作品が置かれていた。
袋に入った色の粉があり、図工教室のような雰囲気だった。

僕の中で、取り上げる女性の職人の候補は一人いるものの,まだ正式に取り上げることはできていない。
経歴を見るだけでも芯の強さ、そして人の柔軟さ等を求められる、
そんな人間性を垣間みられるが、実際はどんな人なのだろうか?
想像と憶測を秘めつつも「また来る」と男性に挨拶して工房をあとにした。


奇跡は起きる


フィレンツェには2年くらい前に出会った自主制作の監督の友達サムエルがいて,映画専門の本屋にいる。
電話番号も住所もわからないまま,
記憶だけを頼りにカンでその本屋の方に歩いていった。
大体の店の位置は覚えていたものの,少し迷ってしまうものだろうと思っていた。
が、僕のカンというのは恐ろしいもので,歩いていた道には寸分狂いもなく,
まっすぐにその本屋へと向かって歩いていたのだった。

こういうところは僕の運の強いところで、いつも助かっている。
最後の最後まで日曜というのはついて回ってきて,
この本屋も休みではあったので、彼に会うことはできなかった。

信じること。
ただそれだけが道を開くのだろう。
そのためには感謝すること。
夢を叶えるための行動にも同じく言えること。
常に感謝することが大切。



コメント

■日曜は安息日

日本にはない安息日のある文化圏。
身動きが取れなくて、思うように先に進まない。
それでも自分なりに納得のいくやり方で得るものは得ないと気がすまない。
一歩でも前へ。
信じ進むことに意味がある。
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池田 剛 2005/03/12 07:48

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