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2005年08月24日(水) 街の表情

ここ 2日ミラノ市内で撮影を敢行した。
映画職人として生活する僕の街の姿を切り取るために。

街はまだバカンスの名残を残していて、
静かだった街も活気を取り戻しつつある。
僕は日本でいえば正月が好きなように、
こういう人気の少なくなるシーズンがとても好きです。
なんというかホントに素朴な味わいがあり、
プレーンなそのままに触れられる感覚。

1月以上も手元にカメラがなかったので、
撮影の感覚を取り戻すかのように、
簡単なフィックスでの風景撮影を繰り返していた。
ミラノでの撮影は自分の格闘するエピソード的なものを盛り込むためのもので、
自分自身の撮影もしてみた。

僕が芝居をやっていたのはもう何年も前で、
カメラを通した自分の演技は、
相変わらず大げさに見える事があったので、
あえて何も表現しようとしなかった。

自己撮影で何度もテイクを重ねたが、
通りいくイタリア人に不審に思われるのも面倒 (大事に発展する可能性もある) なので、
なるべく表情を変えないで、
ただカメラ前で動くだけにした。

生活の香りの薄い場所


ミラノに一度でも来た事のある人は知っていると思います。
ここはイタリアではありません。
と、イタリア人も断言するほどの場所です。
とはいっても僕にとってはイタリアであり、
ここは僕の住んでいるところ。
ここには事実として記録すべきものが僕にとってはある。

ようやく手に入ったカメラをフル活用すべく、
東京で撮ってきたものを取り込んで編集も進めています。
東京からスライドしてミラノの映像にブリッジすると、
たとえミラノであってもそこにはイタリアが広がっている。
そこから徐々にホントにイタリアに住み生きる人々の生き様を映していく。

今年に入ってかなり気合いをいれて撮影に臨んでいたが、
ここイタリアで生きていると予定なんてモノはなかったかのように、
次々とイメージは変わり崩されていく。

(ON THE BOAT) のとき船替えせざるをえなくなり、
あのストーリーの通りにみんな頭を抱えていたのが懐かしく思えてくる。
この国ではあの船替えが 100回くらい僕にリフレインしているかのようだ。
(ON THE BOAT) のときは凝縮されて充実していたが、
いまは正にイタリアのように間延びしている。

今年、ミラノの夏はとても涼しく過ごしやすい。
ただ天候が不安定な時期もあり、
光の強さによっては撮影にモロに響く事もある。

ドキュメンタリーでありつつ、
ドラマも展開していきたいが、
映画ならではのごまかしのきく部分も、なるべくごまかさずに事実を追っていきたい。

全体に流れるリズム


編集をしていて気がついたのが、
作品の雰囲気に関して。
一般的なドキュメンタリーの雰囲気ではなく、
ストーリーのある映画のような感じに持っていきたい。

そして言葉による表現ではないところで心に響くものに仕上げる。
僕の作品を形容するときによくいわれる、
淡々とした映像におさめた温度を感じられるようなもの。

東京で撮ってきたインタビューは当然だが日本語で、
すべて理解のできるものであった。
僕は海外でいろんな国の言葉で撮影をしてきているだけに、
このすべてわかってしまう感覚を知らないでいた。
わかってしまうということは恐ろしいと気がついたのも、
自分のいいたい事がストレートに語られていたから。
そしてそれをそのまま作品にのせてしまいたいけど、
それはとても危険であることにも気がついた。

言葉を理解しきれない事が生む、
わずかな歪みが人間臭さを感じさせてくれる。
そこには芝居ではありえない、
ドキュメントならではのよさがある。

「山」といえば「川」なんて答えはない。
「チネマ (映画)」と言っても
「アレナトーレ (スポーツの監督)」なんて答えがあれば、
笑ってその場をとりつくろう事もある。
それでもお互いに理解しようと必死に語りかけ合う。

言いたい事をあえて作品にのせないのが僕の作品である。
それはその情景の中に描いているものであるから。
言ってしまうのは簡単な事ではあるけれども、
映画は映像で描き表現するのが命。

必要以上に字幕も出さない。
観る人には頭でわかってもらうのではなく感じてもらう。
予定調和的な感動も度を過ぎては興ざめする。

とはいうもののミラノでも意外と思えるほど、
芸術的な建物を目にする事ができる。
いやこれは至極当然のことなんだろう。

僕の住んでいる地区は閑静な住宅街で、
街並もミラノとは思えないほど美しい。
普通のアパートなのに作品が埋め込まれているものもある。
そしてさらに運命でないかと思えるが、
ここの通りは職人街でもあり、
家具の修復やら彫刻やらの工房が通り沿いに並んでいる。

前を通り過ぎると職人の工房独特の匂いがする。
工房もまだバカンスのところもあり、静かな街並の中にシャッターを切る音が一層こだましている。




コメント

■街の表情

人のあまりいないこの時期でしか撮れない何かがあるのではないかと、閑散とした街を見つめながら考えていた。
実際、作中のキーポイントとなる映像を撮る事にも成功した。
しかしこれも壊れたカメラがなんとかバカンス中に手に入れられた事による。
いったいどこまでいったらこの国は事がスムーズに運ぶようになるのだろう。
国民性がそれをゆるさないんだろう。
それがイタリアのいいところ。

表情だけではなく深層まで探っていってみようと思う。
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池田 剛 2005/08/27 07:00

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