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FILM MAKER TAKESHI IKEDA
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2006年03月11日(土) 祈るように伝えていけたら

二両編成の鈍行列車にはイタリア人の観光客らしき人々が、
わいわい言いながら乗り込んでくる。
そんな喧騒をよそに早起きした僕は眠りに落ちていた。

ミラノを出てすでに 4 時間。
眠りから覚めるとすでにラヴェンナの駅に着いていて,
まわりの静けさとともに車掌も電車を後にしようとしていたところだった。
帰りの切符を買おうと窓口に行くと、
国鉄には珍しく笑顔のオバチャンが窓口にいて気分がよかった。

一歩駅の外へ出れば土曜の朝の静けさと湿度の高い空気がおそってくる。
果たして今日はどんなドラマが待っているんだろう。
人々の笑顔と雨に濡れた通りが好対照で、
そのすき間にふっと歩み寄っていった。

体感する出会い


一年ぶりのラヴェンナ。
この間いろいろなことがあった。
と振り返っている余裕もなく,この街での作品のイメージを反芻していた。
街の中のポイントを探り、画になる風景をくまなく探し歩く。


今日のテーマは、モザイク画製作の現場をおさえる事。
職人を撮ることはもちろんだが、
大切なことは職人を知る事、プラスその街を僕自身が味わうこと。
そしてその良さを自分のものにして雰囲気を伝える。
アートとして昇華させる。

「良さ」を知るためにはラヴェンナの有名なモザイクたちと出会い対面する。
サン・ヴィターレを皮切りに、その作品群と言葉を交わしてきた。
ネオニアーノ洗礼堂、大司教区博物館、サンタポリナーレ・ヌオーヴォをまわった。
彼らとじっくり相対するにはみな空間が邪魔をしていた。
僕の視覚の最大の敵が彼らとの会話の妨げとなっていた。
つぶさに感じることのできない葛藤よりも、
体に触れてくるものを覚えるように言われているようで,なすがままに委ねた。


理解を示すための感性


日本でも教会という空間は人の心に安堵感をもたらす。
昼間に訪れたこれら教会群には、雨上がりの陽の光がたれ込めていた。
薄暗い空間の中に差し込む一条の光。
それは希望の象徴であって,救われる感覚を体現しているに他ならないのだろう。

教会が人の体ならば、体の中にまで入ってくる救い。
それはシンクロニシティとも呼べる共通認識のような感覚。
何がこの街全体をつぶつぶのタイルでしきつめるようにしむけているのであろうか?

恐ろしいのは十何世紀もの昔に作られたものがいまだに息吹を放っていること。
遠い過去の人の祈りのような澄んだ想いが、現代に命を宿す人にも伝わっている。
ということはいま僕が記している事も
果てしない予想もつかない未来へと届く可能性もゼロではないという事。

保存に長けたモザイクには過去の人のリアルな心からの叫び声が聞こえてきそうな気がする。
いま時代が見失っている事もわかりそうな気もする。
そんな人の声に耳を傾けて聞いてみるのも悪くはない。
ここにいれば人々の祈りや願いが時代を越えて聞こえてくるようだ。


晴れ上がった


地元のシャレたレストランで昼をとり、
目的地に向かうため目印になる場所を目指す。
マエストロの工房があるのは Via Faentina の奥も奥。
バスの終点の更に先にあるという。

番地を見る限りミラノと同じ感覚で、歩きでもたどりつくだろうとタカをくくっていたが、
何時間経ってもたどりつく事なく結局とんぼ返りになった一年前。
アポなし交渉でも信頼してもらって撮影する事が信条の僕としては、
泣く泣くアポ取りをして行くことにしていた。

Via Faentina へ続く道の手前の広場でマエストロの奥さんダニエラに電話をする。
アポがあると物事はスムーズに行くが,僕としては面白くない。
簡単に進まないからこそそれを打ち破って行く快感を知るものとしては、物足りなくもある。

僕はバスで行くつもりだったので切符を買おうとしていた。
ダニエラは車で外に出ていたらしく
「いま会うのは無理」と言わんばかりかと思ったら
「10分であなたを拾いに行くからバラッカ広場で待っていて」と言う。
「どこかわかるか?」わからない僕に説明を始めようとする。
「いまどこにいる?」通りの表示を探しに行くと目に入って来たのは
「バラッカ広場」


何より大切なこと

ARDEA PURPUREA

品のあるコートに身を包んだシニョーラが車から降りて来た。
早速、車に乗り込み自己紹介をする。
映画を創って来たことや地球一周して来たことを話したところで、
話の半分も本気にしてもらえなかった。
そんなことを理解してもらうよりもむしろ彼女とこの空間を共有して、
コミュニケーションしていることが僕にとっては何より大切なこと。

そのままマエストロの作品であるモニュメント
「ARDEA PURPUREA」のあるところまで連れて行ってくれた。
ここラヴェンナに巨大なモニュメントがあるという事は、
マエストロ自身にとっても代表的な作品なんだろう。

恰幅 (かっぷく) のいいシニョーラは、
イタリアのマンマ的な面も随所に見せてくれた。
マエストロの自宅に向かう途中も通りの横にある、
花や野菜を販売している出店に立ち寄っていた。

マエストロはコンベンションに出席するために、
2,3日中にはシカゴへ行くという。
彼はいま作品の製作にはとりかかっていないようだった。
前日に訪問の OK をもらっていたから、
てっきり製作過程の撮影ができるものだと思っていた僕は、
ちょっとした不安を心によぎらせることになった。

やがてマエストロの自宅に着く。
集合住宅ではないイタリア人の家に入るのは初めてかもしれない。
中はとてもきれいで、いかにもアーティストの部屋という感じの作品から
インテリアまで圧倒されるものがあった。

やはり基本は外光を取り入れるつくり。
壁一面の本棚。
バール並みの本数が揃ったリキュールのコレクション。
キッチンもきれいに掃除が行き届いていて明かりにも日本にはない工夫が施され,
居間のテーブルにはモザイクがはりめぐらされていた。

マエストロの意外なイメージ


「マエストロ・マルコはすぐ来るから」と言われ,
コーヒーをすすりながらモニュメントの本を見せてもらっていた。
マルコと共作したことのある脚本家のトニーノ・グエッラの本も見せてくれたが,
僕が映画関係者だから見せてくれたくらいにしか認識していなかった。

部屋を観察し本を眺めていると,マルコ・ブラヴーラがやって来た。
がっしりした体格と自信たっぷりの大きな声。
僕とは対照的だった。


まず最初にイタリア語がいいか英語で話した方がいいか聞かれた。
もちろん「日本語で」と答えたいところだが、
初対面のマエストロにそんなジョークを飛ばす余裕もなく
「いまはイタリアにいてイタリア語中心の生活ですからイタリア語で結構ですよ」
と言ったのが大間違い。
彼はよく話す。
見た目の風貌と相反してとても人を気遣い、サービス精神旺盛だ。

しゃべりまくしたられ,
彼の話している事の一割も理解できなかったかもしれない。
こんなことなら「英語」と答えればよかった。
でも僕にとってこの作品製作では
イタリア語でコミュニケーションをとる事が大事なのであって,
イタリア人の話す英語に違和感を持ちながらしゃべらせるのは意に反する事であった。

職人というよりアーティスト,
アーティストというより肉体労働者。
僕のイメージではマルコは二面性を持ち合わせたような存在となっていた。

自宅の中を見る限り美への追求、
そしてモニュメントの制作時の体をはっての作品制作。
そんないろいろなところからくるマルコへのイメージは、
どれが正しいかわからない。
まるで自己プロデュースしているかのように,
よくしゃべって自分を言葉で表現する。
芸術への憧憬の深いアーティストというイメージとは少し異なっていた。

「撮りたいものすら撮れない」


本人曰く、彼は常に仕事をするタイプではなく,
大きな仕事をしたらしばらく休むという。
「申し訳ないが君に見せてあげられるものは何もない」とはっきり言われた。
僕は最低限できる事があればそれで満足する。
工房を見たら何かあるだろうという期待があった。
だから工房を見せてもらう事と,なにかしら作品を見せてもらうこと。
これをノルマにした。

どこのウマの骨かもわからない僕に対して、
ものすごく紳士的な振る舞いの彼。
工房もすべて見せてくれた。
何も隠す事もなく,あからさまにしてくれた。

乱雑で整理されていない工房を彼はカジーノと表現する。
確かに創りかけの作品すら目にしない。
説明しようにも差し出すものもない。
それでもこの現場に来る事に労力を費やしていた僕は何かしら探していた。

それはもちろん彼の制作風景だが、
とにかくいまは工房をくまなく見る事、
彼の作品を見つけてそれについて話してもらう事、
材料なり道具なり見つけてそれについて質問する事。

彼はよく話してくれるから,
カメラを回しながら何かを見つけては話してもらっていた。
製作過程を撮れないいま、それで満足するわけもなく,
ラヴェンナにはまだ足を運ばなくてはならないと考えていた。
僕はいくつかあった候補の職人の中から彼に決めたのであって、
彼を撮りたいという意識は強かった。
実際に彼と会ってからの印象が、更に撮りたいと思わせていた。


サービスか? 優しさか?


彼の家に戻って展示されている作品を見せてもらう。
本の中にある作品の写真を説明してもらったりした。
モザイクはモザイクでも職人の作品というより、
むしろアートとしての色を強く感じた。

作品を見せてもらったところで申し訳ない。
ピンと来なかった僕の表情を察知したのだろうか?

ダニエラが言っていたようにこの街には日本人が多く学びに来ている。
マルコの元でも働いていた日本人女性がいたようで,
しきりに彼女の名前を呼んでいた。
そして彼女の学ぶ CISIM というところを紹介しようとしてくれた。
CISIM は僕も行った事はあるが,アポなしだと NG なので撮影は控えたところ。
マルコはそこに電話を入れてみるが誰も出ない。
ダニエラと相談するものの他に伝手はない。

仕方なしにマルコ本人が僕を街まで連れて行ってくれる。
そればかりか開いている知り合いの工房があれば、紹介してくれるという。
僕はマルコを撮りたくなっていたので,他はもういいと思っていたが、
彼の恩義に逆らう理由もないし,異なった広がりがあるかもしれないと思いつつ、
車に乗り込んだ。

マルコ自身、僕に紹介できるところなんてないだろうと思っていただろうし,
僕も期待を抱くことはしていなかった。
彼を撮りたいと思っていたから。
マルコは車の中で、僕自身の事から映画の事も興味深く聞いて来た。

しかしホントに不思議に思うのは,どうして突然やって来た訪問者に対して,
ここまで手厚く接してくれるのだろうか?
コネや人伝いに訪れたとして、見ず知らずのわけのわからん野郎にここまでするのは、
してもらっておいてこういうのも変だけど,僕には理解しがたかった。

いつも一人で動いている中で僕は不安や戸惑いと向き合っている。
でなければ教会で祈る必要なんかはない。
彼はそんな僕の心の砂を洗い落とすかのように、
言葉をたたみかけて先に進もうとする。
ある意味、僕の心の中に建てられた教会のようだった。

マエストロと呼ばれるような人が僕を送迎するだなんて、
日本ではあるだろうか?
彼らにとっては僕が誰か? なんてことには意味がないのか?
人として自分を訪ねて来たことに対しての、
歓迎を心から示してくれたという事なのか?
僕には無我で人に尽くす姿勢がそこに見ることができた。
イタリア人は伝統的に人に対してのサービスをする気持ちは大いにあると思う。


人の綱渡り


何の期待もしていなかった僕を待ち受けていたのは
「バラッカ広場」手前のシンプルな工房だった。
そこには 2人の若いモザイク職人がいた。
ここでも熱心に紹介してくれるマルコ。
若い二人も快く僕を受け入れてくれた。
マルコは満足したような笑顔で、自分の工房へと戻っていった。

アリアンナとルカ。
マルコの助手をしたこともある。
僕より年下の彼らは経歴もしっかりとしていて,
すでにモザイクの講師をしている。

ここは修復やコピーをするのがメインの工房だった。
モザイクのコースもあった。
彼らは自分のオリジナルの製作ではなく、
人から依頼されて製作するタイプの、需要のある典型的な職人だった。

逆に言えばこの作品を企画した当初から考えていたタイプの職人がようやく出て来たともいえる。
すでに名が世に出て成功しているのではなく,
これからもっと実績を積んで認められなくてはいけない、
悩みも憤りもこれから感じていく若手職人と出会えたわけだ。

アリアンナは素人の僕に丁寧にモザイクの製作の説明をしてくれる。
モザイクのガラスを割るところからはめ込んでいくところ。
マックの中の写真で行程を見せてくれる。
ガラスの種類や値段など表面的な説明に終始した。

オリジナルではないだけに、作品の深い意味を問うたところで、
期待するような答えも見いだせない。
この日はとにかく彼らのキャラクターや、
工房での彼らの取るリズムなどをうかがうことにした。

心で手をつなぐ


彼らはやはりモザイクを題材に映画を撮る事には興味があるようで,
「もしあなたの作品が有名になったら私たちもみんなに見られるのよね?」
「他にどんな職人撮ってるの?」

ルカのおじさんは漁師だという。
僕がジェノバで漁師を撮っていると言うとすかさず食いついて来た。
「なんで船に乗せてくれないんだ。
僕のおじさんに頼んで乗させてもらえるように言ってあげるよ」
気持ちが嬉しかった。

ホントに船に乗れるのであれば規模の大小は別にしても乗ってみたいし、
イタリアの漁師の仕事は素で見てみたいという気がある。
ジェノバでの現実を伝えると,
ルカは「え〜? ホントかよ!」
対してアリアンナは現実的に「それはやっぱり無理だろうね」
それでもルカはおじさんに聞いておいてあげるよ、と一歩も引かない。

これはイタリア人にありがちな余計なお世話的な親切心から来るもの。
僕にとっては心地のいいものだ。
実際やるかやらないかは別として、人のために頑張りたいという気持ち。
それは日本にいるとあまり感じられないところだから。

言葉ではいろいろと声をかけてくれる。
が、実際となったら行動にまで移して力になってくれる人なんてほとんどいない。
出過ぎたことをしないように相手を気遣ってしまう。
人の心を読みすぎな部分もある。

自分に良くしてくれた事に対して、その気持ちを伝えようとする。
何かを伝えようとするのはとても難しいことで,
人によって感じ方が違うから、本意とはズレて伝わってしまうこともある。

伝えるという事は本来人間の根源的な欲求であるだろう。
自分がいいと思った事、わかってもらいたい事、頭に来た事、
いろいろを共有しあう事で、人は精神的にもバランスをとって生きている。

人が欲していない事や気持ちをグレーにする事を伝えるのは求められた事ではない。
どんな形であれ人がプラスになることが伝えるということ。

だからといって「誰かの心を揺さぶりたい!!」
などというのはただのエゴイズムなのではないか?
結果、人の喜びを感じ取られるだけであって、
それを狙っていたとしたら歯車が狂うはず。
伝えることは押し付けではなく、教える事でもなく,強要することでもない。

伝えるというのはさりげないもの。
メッセージが強くてもわからない人には伝わらない。
自分が得たプラスの気持ちをのせればいいだけである。

感動してもらわなくてもいい。
心静かに祈るように。
なんとなく気持ちがいいこと。
それがあれば想いはみな明るくなる。


いつのまにか工房には人が集まって来ていた。
夜パーティーがあるらしい。
アリアンナもルカも僕がラヴェンナに泊まるものだと思っていたようで、
パーティーにも誘われた。
惜しまれつつも工房をあとにした。

ルカはメールでも今度ラヴェンナに来る時は僕が宿を用意してあげるから心配するなよ。
とメールして来た。



この日、撮影した映像の一部を公開しています。どうぞご覧下さい。

マルコ・ブラブーラ - Ravenna 3

トニーノ・グエッラ - Ravenna 4

ココ・モザイコ - Ravenna 5




コメント

■祈るように伝えていけたら

今回は祈りと表現について。
人に伝える表現を祈りと同等に置き換えてみました。
言いたいことがあって、声高に叫んでも伝わらないこともある。
静かな叫びでも何世紀ものときを越えて光を放つこともある。
強く訴えても伝わらないのであれば、さりげなくする。

人と関わっていく中で特別形にしなくとも、
わかる人には案外それでも伝わっているものである。
モザイクの中にはそんな見えない祈りのようなものが隠れている気がします。

だから自然体でいたいものです。
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池田 剛 2006/07/28 07:36

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