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2007年08月02日(木) 視線が絞り出す形
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にぎわっていた工房も一人二人と出て行き、
気がつけばアリアンナとルカの二人だけになっていた。
いつになく作品に手を付けている二人。
とにかく先に進めようとしているのが見て取れた。
完成していた細部まで行き届いた犬のモザイク。
二人の子供の写真をコピーしたモザイク。
そして写真を下絵としてコピーしているアリアンナ。
肖像のモザイクに手をかけたりもしていた。
一連の作品を見るにつれ、
何か関連性を帯びていることに気がついた。
そして見えてきたのは、
彼らの集中の仕方とピッチの早さ。
ケツカッチン
この日の夜、惜別パーティがあるらしく、
その友人が訪れていたが、その誘いも断っていた。
それもこの一連の作品群のクライアントが来るので、
一緒に食事をしなければならないという。
僕よりもまだいくつも若い彼らにとって、
クライアントを大切にしていくことは重要な営業なのだろう。
アーティストとして悩める一面でもある。
ルカが手にしていた仕事の合間に聞いてみたのは、
「どのくらいで完成するのか?」
彼の答えは「一週間で完成させなければならない」
そう、期間が決まっている。
あくまでセンスを駆使して成すがままにやるのではなく、
これは義務なのである。
それは彼らにとってどういう感覚なのだろうか?
これで生きていくには大切なことだが、
自作として旅立たせるのにはつらいものがあるのではないだろうか?
出来上がりの良しあし
僕の場合は期限を決めての作品作りには一長一短がある。
いいものが生み出されたときは結果的にそうなっている。
本来のスタイルは時間をかけてじっくりなタイプなので、
ペースを外されると違和感を感じながらの中で生み出していく。
天才の定義として、
「質の高いものを量生み出す」という人がいるが、
職人イコール天才ではないにせよ、
もちろんそうありたい自分がいる。
彼らを客観的にとらえている人物からの意見は得られていないが、
若い彼らに与えている迷いというものはきっとあるはずだと僕は見ている。
どれもが最終形
バカンスシーズンに遊びをすることもなく、
自分の土台を作りあげるための一心不乱の作業。
一般的に僕が目にしているイタリア人にはあり得ないものをそこに見る。
僕が問いたいのは、
クオリティの大切さか、
作品を完成させることの大切さか、
自分のオリジナリティを生み出すことの大切さか、
人の意見のままに行うことをよしとするのか。
自分の中のモラルがもろに反映されることだろう。
どれも取りたいだろうけれど、
一つは選べない。
葛藤の中での自己表現になる。
作品は自分自身の分身。
それが人々への答え。
人々のまなざしが生み出す美なのかもしれない。
この日、撮影した映像の一部を公開しています。どうぞご覧下さい。
コピー - Ravenna 18
逝去したライダー - Ravenna 19
めまぐるしい - Ravenna 20
急ピッチのわけ - Ravenna 21
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