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2004年07月29日(木) チンクエ・テッレ
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チンクエ・テッレに行った。
噂によれば鉄道で行くことも困難な秘境の地というので、
どんなに楽しみにしていたことか。
きっと味のある漁師がくさるほど眠っている場所なんだろうと、
期待していった。
ところがそこにいるのはイタリア人をはじめとした観光客だらけ。
それぞれ5つの村にも本数は少ないものの鉄道は通っていた.
日本人と会うことはなかったが、ポルトフィーノと同じ完璧な観光地だった。
ラ・スペッツィアに着いたとたん「こりゃだめだ」
あとはこの休みの日を充実した一日に仕上げることだけにまい進しようとした。
最初の村、モンテロッソから海岸沿いにすべての村を訪れようと思った。
海岸沿いは国立公園で道はそれなりにできているものの、
昇り降りの大変な道の連続でいい運動になった。
その向こう側には自然の侵食でつくられた、きれいな岸壁が長く連なっていた。
カラッとした天気の暑い中、体を動かし、大自然の前にひれふす。
気持ちが良かった。
それがこの日の最大の収穫だったのかもしれない。
モンテロッソから次のヴェルナッツァまで2時間かかり、
暑さと疲れでくたばっていた。
ヴェルナッツァから次のコルニーリァまでも距離は同じくらい。
滞在時間と相談すると踏破するのは困難とみて、ひと駅飛ばした。
するとその次からは道が平たんで、しかも村と村の間があまりなく、
逆に時間が余ってしまった。
僕は最後のリオマッジョーレでしばらく人々の景色を眺めてみた。
途中、ジェラートと水をとっただけで、昼食は食べていなかった。
リオマッジョーレの街でパニーノでも食べようとしていた。
通りでは男の子たちがサッカーボールで玉蹴りをしている。
通りすがりの小さな男の子ですら小さいボールを持っている。
かと思ったら一緒に遊んでほしいのか?
その子の横を通った少し大きい男の子めがけてボールをぶつける。
スマッシュヒットしたわけではなく、足下に軽く当たっただけだったが、
ボールを当てられた男の子は気付かずに通り過ぎていく。
無邪気に遊んでいるその子は、何の悪気もなくやったことだろう。
近くにいた親もその光景を笑って見ていた。
僕もそばで見ていて愛らしい景色にふと微笑んでいた。
そういえばミラノのスーパーで変な男に出くわしたことを思い出した。
CDを聞いているわけでもないのに、一人で音楽に合わせてラップを口ずさんでいる。
乳製品のコーナーの前にいた僕の近くに来た。
「ウーノチンクアンタセッテ、ウーノセッサントット、ヨー、ヨー」
一つ一つの商品の金額をリズムをつけて口にしていた。
何だこいつは?
と思ったものの、僕も真似してみた。
すると奴は僕に問いかけてきた。
「You wanna help me?」
「Yeah, I wanna help you.」
でも彼はまた金額のラップを始めた。
だから僕もそれにあわせて「ウーノクアランタドゥエ、ドゥエディチャセッテ」
バカにしているわけではない。
楽しんでみただけ。
「バッファロー'66」でヴィンセント・ギャロが
「ビークール。ビークール」と言っていたのに似ていた。
言葉ではいいあらわすことのできないこの素敵な情景を、
少しでも多くの人々に提供していけたらどんなにいいことだろう。
ミラノにいても知らないオヤジが突然声をかけてきたり,
通りすがりのおっさんも「グラッツィエ」と言って過ぎて行く。
僕が映像にしたいのは、こういう言葉にしても伝わりにくいこと。
僕が一体どういうことを肌で感じているかを、その情景をそのまま感じ取ってほしい。
日本にはない現実を、海外にいる日本人である僕自身が撮ることに意味があるんだと思う。
そういう意味ではイタリア人ではない僕が、海外に出て映画を創ることの意味は、
日本人である自分を試すことでもあると思う。
自分自身というより、日本人の強さを見せつけてやりたいというのもある。
僕ら日本人は日本人の有能さをわからせなくてはならないものだと信じている。
日本人だって突き抜けていく事ができる。
いける。
絶対に。
イタリアにいるからたくさんのイタリア人の表情を見る事ができる。
だからイタリア人という人々がだいたいどういう傾向があるのかは見えてきている。
逆にイタリアにいるイタリア人が僕を見る場合、僕自身が日本人の典型であると見られてしまう。
であるならば、日本代表である僕が日本人として日本の美しさを表現すればいいだけの事である。
彼らにとっては僕の存在が、イコール日本人なのである。
日本の心は人に対して誠実であり,義をつくし、礼を尽くし,真実を愛するものだ,と。
自分の理想に忠実に生き、弱いものにも理解を示し、広い心を持ち、偽装しない。
逆境に陥っても果敢に飛び込んでいって逃げることがない。
自分の責任をまっとうする。
これらはいまの日本人には忘れ去られつつあるが、日本人にしかない特有な美徳観であろう。
僕はこれらが日本人の心の深いところに受け継がれている事を信じている。
そしてそれは僕の心にもある。
それは外人に対して立派に誇れる日本人の財産である。
外国人をも畏怖させる素晴らしい価値観である。
この美しいものを携えて海外に来ているからには、この真なる美を提供していく事が必要になる。
海外にいる日本人としてホントにリアルな等身大の日本を伝える伝道者であるべきだ。
日本人の僕でないと感じられない事,表現できない事を描くためにやってきた。
僕がそれまで日本で見てきたもの。
それとは異なる世界がここイタリアには広がっていた。
それが何を意味するかは人によって想像するものは違ってくるでしょう。
はっきりいって不便です。
電車一本乗るにしても必死だし,水一本買うのも大変。
カメラのフィルターもいまだに手に入らない。
でも逆に言えば必要最低限のものだけしかない。
あれば便利だけど,不要なものはない。
それがいいんだと思う。
必要なことのために人と人とがコミュニーケーションをとる。
とらざるを得ない。
そうでなくとも日本に比べたら、
コミュニケーションをとる機会の多くなる環境だ。
簡単便利でコミュニケーションなしで目的遂行できるところとは異なり,
泥臭いくらいに動きまくることで目的達成するということは,人間臭い生活を送らざるを得ない。
この国では人間回帰する習慣が備えられているということだろう。
複雑に入り組んだしがらみなど考える必要もなく,要はどうしたいか。
それを考える。
あとの細かいことなどどうでもいい。
僕は海外に出たことやイタリアに住むようになったことで、
考え方がシンプルになった。
日本にいたとき、シンプルでありたいと願っていた。
きっと環境がそれを許さなかったのだと思う。
年齢を重ねたこともあるのかもしれない。
ジョン・レノンのような詩を書きたいと思っていた。
日本にいたときでは考えられないくらい、細かいことにこだわらなくなった。
ゼロとは言い切れないものの、単純に生きていたらいいように思える自分がいる。
いい人にはよくしたい。
優しい人には優しくしたい。
感動させられたら感動させてあげたい。
そんないままでたくさん出会ってきた人々に恩返しのつもりで、
マルコを通して心の温まるプレゼントを届けたい。
ただそれだけでいいんだと思う。
それが「GLI ARTIGIANI」を創る理由だ。
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