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2004年12月31日(金) 暮れ行く年の瀬に
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いつもは夏場にくるのに今日は大晦日。
それにしては結構人がいる。
しかしいつ来てもそうだが,ここは静かな村。
人はそこそこいても心は落ち着く。
ゆったりとした時の流れと美しい風景。
人々の柔和な動きに暖かさが伝わってくる。
晴れ上がった青い空と一面見渡せる海の青。
とても爽快な気分だ。
僕が思うに、ここボッカダッセは、
映画でよく見るイタリアの自然な風景の宿る村なのではないかと感じる。
以前来たときに走り書きしたメモを見る。
人 = サッカーする子、アイスを食べる人たち、海岸に寝る人々、犬,
子供にアイスを与える母,孫をしかるおばちゃん、恋人,ビールを飲む老人
風景 = 坂,家の窓,やつれた家の壁、洞窟
毎回来る度にほぼすべて見る事のできるものばかりだ。
これらは象徴的なイタリアの景色のようにも思う。
冬だし大晦日だから人も少なくて大したものも手に入らないかと、あまり期待せずに向かった。
そしていきなり僕を驚かせたのは、例の漁師が網の手入れをしていたことだ。
でもさすがにこの寒さだし,沖には出ないもんだと思っていた。
村にただすんでゆっくりし、静かに風景を眺めていた。
小さな犬が2匹走っていた。
その横を小さな女の子が犬とはしゃいでいた。
画になる風景は当然のようにあるのがこの村である。
そしてその風景にレンズを向ける僕を、誰もが煙たがる事なく,
逆に前を横切るときに「スクーザ」といっていく。
人々の暖かさを感じるものである。
僕はいつも通りその景色と均等に距離を保ちながら、瞬間を待ちわびる。
意外な被写体の多さに、漁師を横目にバチバチと撮り始めた。
その漁師の家のある方から、坂道を登っていく。
カラフルな家の壁の色が、この村の特徴で,ただそれだけで画になる。
高低のバランスが大きいこの村では、坂の大きな勾配をクリアしなくてはならない。
坂を上る途中、雑誌の撮影らしき人がいた。
そりゃ、画になるバックが多数存在しているからだ。
でもどう見ても画にならないバックを使っていたのには、カメラマンのセンスの悪さに首を傾げた。
隣の村ヴェルナッツォーラまで来た。
ボッカダッセの盛況ぶりに比べたらかなり閑散としていた。
いつもいるはずの漁師たちもまったく見当たらない。
これといった風景もない。
すぐに引き上げてボッカダッセに戻った。
帰り道、いろいろと画になるものを探しながら戻っていた。
そして海岸にたどり着くと,あの漁師が船を出しているではないか!!
僕は手入れをしてるだけで,漁はあり得ないと思っていた。
しかしそこはさすが職人。
僕も多少は期待していただけにちょっぴりうれしかった。
しかも出発時刻が午後4時。
日本時間に直せば年の切り替わりのとき。
「あぁ、今日はもう終わりだな」と思い,
いつも行くジェラート屋でアイスを買い、村の上の広場で食べていた。
人々が行き交い,子供をつれる親が目の前を通り過ぎる。
風はないが,そこには冷たい空気がある。
数年前に感じたあのときの突き抜けるような空間に似ている。
今年はもう終わりだが,何かが始まる予感がする。
すこしずつ落ちていく夕日に心奪われながら、穏やかに年は暮れていく。
広場の横にある教会の中に入り、さらに心を鎮める。
カトリックの、しかもこれだけこじんまりとした教会に入るのは初めてかもしれない。
マリア像が建てられていた。
その像に向かって小さな子供が「チャオ,ジェズー」と言っていた。
こういう子供のものすごい純粋な言葉に心は洗われ垢が流されていく気がする。
しばらく散歩をして海岸に戻ると、すでに漁師の船は戻っていて,誰もいなかった。
もしかしたら今晩のための漁をしにいっていたのかもしれない。
そんな想像に明け暮れながら、ボッカダッセを後にした。
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